妊婦の君を支えるために夫の僕が考える心の在り方
こんにちは。出産には立ち会いたい派。MAmeeともうします。
「“彼女”とは“遥か彼方の女”と書く。女性とは向こう岸の存在だよ、我々にとってはね。」
そう言ったのはアニメヱヴァンゲリヲンに登場する加治リョウジという人物だ。
この言葉は元は他人同士である男女が夫婦として生活する中で、
度々僕の胸に突き刺さってきた。
時間と共に馴染んだ考えは「折り合いをつける」という事。
必ずしも理解しあい分かり合う必要はないという事をお互いに受け入れあうという事。
そんな風に悟っていた気でいた僕ではあったが、やはり人生。
分岐点などそこら中にあり、僕もそのありがちな分岐に立つこととなった。
ありふれた大事件
嫁のお腹に第2子を授かったことだ。
これはとても喜ばしいもので、待ちに待った出来事であり、何の憂いもない。
だがこの出来事で、先述した「折り合いをつける」という今のスタンスに疑問を持つ。
この考えは自分の保身も大いに含んでいるからだ。
人生において「こう決めたから絶対こう」なんて固定観念は全く持って生産的じゃないしナンセンスの極みだろう。
生産的などと言っておきながら感情論になるけれど、何より「我が子を妊娠した妻」はオスとして何よりも優先すべき存在だ。
こう感じることのできる僕の固定観念は大事にしていきたい。
世の倫理観に沿える自分の常識に、意識が付いてく普通の人間に育ててくれた親にも感謝だ。
固定観念に関する深堀に興味がありましたらこちらの記事をご覧ください↓
妊婦の君をどう支えよう
自分とは別の命をそのお腹に宿した女性はまさしく“遥か彼方の女”。向こう岸の存在だ。
何より自分自身の内外面のコントロールが難しく、全ての変化に戸惑いを大きく感じているのは女性の方だろう。
言い方は妙だが、オスとして妊娠後の女性はもう一つの人格を宿したと考えていいと思う。
つまり何が言いたいかというと、
不安定なその場面場面ごとの“彼女”に寄り添う必要がある。ということだ。
波が発生する海は、その波を自分の意志で出しているわけじゃないし、その大きな波の中に身をさらしているのもまた僕ではなく“彼女”だ。
そんな光景を前に傍観している姿を見せてしまっては、打算的な話、幻滅させるだけだろう。
その失望は“彼女”に孤独感を与えてしまう事にもなりうる。
波を僕にぶつけてくれることも無くなり、互いの間には溝も何も生まれない「無」の状態になるだろう。
のちに感じてくれる強さであろう
「女は強い」という考えは間違いではないだろう。
事実、男性の身には想像もつかない変化の荒波に身を投じているわけだから、女性の強さは男性を凌ぐ部分がある。
けど男として夫として、そこに甘んじる気は無い。
ずうずうしく支えたがる本能と強さが男にも備わっているのだから。
そして「あの時はありがとう。」って言われたいいやらしさも持っているから。